25年間の臨床経験からみえてくる、「自分の中のストーリーを変えると世界が変わる」ということについてお話しします。
昔話やおとぎ話はみなさんご存じでしょう。
昔々あるところにおじいさんと、おばあさんがいました
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました。
おばあさんが川上をみると、大きなモモがドンブラコ~
『桃太郎』のお話はみなさんご存じでしょう。

これを、例えば、「サル」の視点で考えたことはありますか?
サルは、通りかかった桃太郎が持っているきび団子が欲しくて
鬼退治についていくと言ってひとつ貰ったものの
「ほんとにきび団子ひとつで鬼と戦うの??いやだなあ・・・しかも犬とは相性悪いのに」
と思っていたかもしれません。
しかも、鬼退治の後に持って帰ってきた宝物は、サルにはまったく関係ありません。
他になにもご褒美もくれません。
ある意味「ブラック」な感じです。
サルからみた「桃太郎」は、一人の英雄に振り回された人生(サル生)のように見えなくもありません。

ある会社が事業に大成功したとして、その社員一人ひとりにとって、それが大成功のストーリーではない、と言うことは言うまでもないでしょう。
一方で
これは、人や立場を変えたからわかりやすかったことですが、自分自身の中でも「ストーリーの転換」ということは起こります。
例えば、昨今のパラリンピックなどは、そうした人生の転換を身近に感じさせていただいた機会でした。
〇歳までは健康だったが、〇歳の時に病気(事故)で障がいの状態となり、そこから協議に関心をもって、メダリストになった。
一言でいうと、一直線のストーリーですが、
病気、事故という経験は、その時点では簡単ではない感情を経験されたはずです。
その時点では、絶望を感じたかもしれません。
けれども、ある競技に出会い、人と出会い、そしてこうした結果を残したことで、
「絶望のストーリー」
は、同じ絶望の状態ではなくなったはずです。
〇歳までは健康で、〇歳の時に病気、事故で
という客観的な「事実」は変わりません。
変わったのは、経験による「ストーリーの変化」です。

ですから、私たちは、
もし「今」絶望の淵にいるとしても、
そのままのストーリーが続いて結末を迎えるとは限りません。
失恋でも、もしかしたら、この次にハッピーエンドがあるかもしれず
失業したとしても、このあと違った展開が待っていることがあります。
この点については、私自身も何度となく経験があり
初恋の人の自殺という経験で大ショックをうけた
高校入試に失敗した
大学入試に第一志望ではなかった
就職試験も希望の職種ではなかった
と書いていくと、本当にきりがありませんが
今、心理職として仕事をして、
こうして文章を書いたり、好きなコーヒーや写真を楽しんだり、地域おこしに取り組んでなかなか面白かったりするのは、まずまず悪くありません。
人間のストーリーは、まさに先がわからないものです。
明日、あなたのストーリーも変わるかもしれません。
KIRIHARE所属 臨床心理士
