出来事に良し悪しはない

人間の持っている心というのは、「ヒト」というものが発生したあたりから、それほど大きくは変化していないのかもしれません。

少なくとも、数千年も前の文明の墓のあとから、お花を供えた形跡が見つかったりするのを見ると、お花をきれいだと感じたり、それを死者に備えようとする気持ちなどは、今とそれほど変わらないことがわかります。

同様に、私たちの悩みというものも、昔から大きく変化はしていません。もちろん、現代ならではの「テクノストレス」的なものとかは別かもしれませんが、それだって元をただせば人間関係や仕事のことということができるかもしれません。

細かく見れば、悩みというものは千差万別、人それぞれですが、「〇〇の悩み」という少し大きな問題としてとらえれば、誰一人として経験したことのない悩み、というものは、おそらくないでしょう。

中国の古い書物で「易経」というものがあります。これは、現代でも「占い」などに使われていることがありますが、大昔の意味で言うとこれは「占い」ではありませんでした。「こういうことが起こる」ということは「こういうことにつながっている」という物事の筋道や法則を事細かに描いてあるのが易経です。

普通、おみくじなどでは大吉であれば、これからいいことが起こりそう、凶であれば、よくないことがありそう、と考えがちです。けれども、どうやらそう捉えるのではなく、『今、自分が行っていることは、世界に対してどのようなことであるのか』ということらしいです。

ちょっと難しいですね。「今のままの行動で、次に起こることはこれ」といった感じでしょうか。「待ち人 来るが遅し」とか書いてあると、「良くないこと」ととらえがちですが、おみくじには、良いとか悪いとかは一切書いておらず、「勉学に励みなさい」とか「目上の人を大切にしなさい」とか、そういうことが書いています。

冒頭で書いたように、「昔から人の悩みはけっこう共通です」。ということは、「悩みとなる状態」が発生する状況も、そんなに変わらないのです。

『こうしたら』→『こうなる』という流れがありますから、「食べて運動しない」→「健康に良くない」。『適度な運動をしてストレスをためない』→『健康的』くらいのシンプルなことは、昔からわかっていることなのです。

ですから、私たちは、目の前で起こっている出来事について、感情で反応しがちですが、ある程度感情で体験して、味わったら、「さて、これはどんな意味があるんだろうか」とちょっと視点を変えてみることも有効な手段です。

先日、私の職場近くで雷が発生し、職場内の火災報知器が通電して壊れるという出来事がありました。それ自体は「困ったこと」として受け取れますが、「これはどうもおかしい。何か他にもきっと変わったことが有りうる」と思い、職員に警戒を呼びかけました。

その数日後、近隣地域でコロナウイルスの感染が複数確認されたのですが、事前に引き締めをかけていたため、事前にみんな備えていたので難を逃れたということが有りました。

「これは、何を意味しているんだろう」と、ちょっと離れてみると、問題に埋もれずに済むことが有るかもしれません。