
仕事に対して「やりがい」を感じていたり、得ている報酬に満足していたりする方は、毎日仕事に行くのが楽しみなはずです。
家庭での家族関係が問題なく、コミュニケーションが円滑な方は、仕事が終わって家庭に帰るのが待ち遠しいでしょう。
ただ、残念なことに、生活をしているとそんなことばかりではありません。人間がやることには、失敗やすれ違いは日常茶飯事です。むしろ、
「なんでこの人はわかってくれないのだろう」といういら立ちは、もともと期待しすぎで、「えー、わかってくれたの??すごい」というくらいのことなのかもしれません。
「理解は偶然、誤解は当然」ということです。
また、仕事について、何を期待しているかによっても、仕事に対する自分の構えが変わります。
「お金を稼ごう」とするとしましょう。

もともとの給与の額の表があるはずです。その表を見たときに、自分の期待する金額は、現在の位置とどのくらいの差がありますか?表そのものに、すごい大きな差があったら、どんなに頑張っても、すぐにその目標にたどり着くことは難しいでしょう。
言い換えれば、『息の長い仕事』が必要です。
ですから、よほど成果主義が定着としている仕事や、もともとの基本給が高額な会社に入っていないかぎりは、私たちの身体や心の健康を害するほどの一時的な頑張り、がむしゃらな努力は、それほど急激な賃金の上昇にはつながりにくいのが本当のところです。
そう言われると、やる気をなくしてしまいますか?大切なのは、ここからです。
もし「お金」だけを目標にしてしまった場合、私たちの一日の時間の半分近くを通勤や仕事で費やすのだとしたら、つまらなくなることがあるかもしれません。けれども、自分の取り組み方によって、人を幸せにできる、と考えてみたらどうでしょう。

同僚においしいお茶やコーヒーを入れてみること。営業先の受付の人の愚痴を聞いてみること。自分がまかされた仕事を期待値以上でこなし、上司の出世を手助けしてみること。自分が世の中に出した商品が人に喜ばれること。これらは、遅かれ早かれ、人から感謝されます。
「おれがやったんだぞ!!」と言わなくても、周りの人はみんな分かっています。
それは、思いもよらない形で、「あの時はありがとうございました」と人から帰ってきます。そんなことがあったら、すごくうれしく、やりがいがありますね。
あれ、これは仕事のお金の問題だったでしょうか。















