25年間の臨床経験からみえてくる、『自分のエネルギーの根源に気づいておく重要さ』についてお話しします。
みなさんの中でも、大学、大学院をでているという方は、いらっしゃると思います。
高卒で仕事に就かれて、活躍されている方もいらっしゃるでしょう。
『学歴』というものは、過去は意味があったかもしれませんが、現在では、皆さんが思うほど意味はないように感じられます。
仕事ができるかできないか、はあまり学歴とは一致しないことも多くなってきているのは、皆さんもご存じのことでしょう。

わたしが、臨床をやっていて実感するのは、
「エネルギーのある人とない人の差」というものは
もちろん学歴などではなく
「その人のエネルギーの出どころはどこなのか」
ということのように感じています。
例えば、人間には「欲」というものがあります。
「お金を稼いて、欲しいものを買いたい」
というエネルギーがあるとした場合、その「欲しいもの」が、どのくらい欲しいのか、ということもエネルギーの根源ですが
「欲しいものを手に入れたとき、何をしたいのか」
ということまで考えてみてください。
「かっこいい車が欲しい」
で、それが叶ったら?
「大きな家が欲しい」
で、それが叶ったら?
と続けてみてください。
例えば
「高級車が欲しい」
で、それが叶ったら?
「お付き合いしている人を乗せてドライブに出かけて、いい気分を味わいたい」
で、それが叶ったら?
「今、仕事におわれていて、プライベートがないがしろになっているのが解消できる」
で、それが叶ったら?
「仕事もしないで、遊んでばかりいる同僚を見返してやれる」
というような、本当の自分の「底にある」エネルギーの出どころを探ってみるのです。

こんなことをお話している私は、かつて「怒り」が根底あるエネルギーをメインに活動していたことがあります。
「今に見てろ」
というような怒りの力は、非常に強いので、多少疲れようと、失敗しようと、枯れないという特徴があります。
けれども、怒りをもとにした力というのは、自分も他人も大切にしない、という特徴がありますから、わたしも結局のところ、この力だけでは自分自身が疲弊してしまうことに気が付くことがありました。
現在は、力はずっと弱く感じますが
「与える」
ということを、自身のエネルギーの根底に置いています。
どうやったら楽しんでもらえるか
何が人の役に立ちそうか
目の前の人が成功するにはどうしたらよいか
と考えることが、自分の活動のエネルギーの根源になっています。
でも、正直に言えば、時々、うまくいかないと
「そんなことまで、あなたの代わりにやってられないよ」
と思うこともあります。

けれども、そうであっても、「怒りの力」で動いていた時よりは疲れませんし、周りの人たちも喜んでくれることに気づきます。
わたしたちが、本来手に入れようと思っているものは
人を出し抜いたり
蹴落としたり
だましたり
傷つけたりすることでは、得られないものばかりです。
自分が何かをする際に、その原動力になるエネルギーは、どこから出ているのかを確認しておかないと、時々、ねじ曲がったことをしてしまいがちです。
もし、疲れてしまって、何もやる気が起きない、という時があったら、時には、それでもいいでしょう。
でも、なぜ疲れてしまっているのか、なにに対して疲れているのか
ちょっとたちどまって確認してみましょう。
きっと、気づけていないエネルギーの無駄遣いが見つかるはずです。
KIRIHARE所属 臨床心理士














暑さが収まってくるところになると、なんだか気持ちも落ちてきたりしませんか。
さて、今お話ししているのは、1年間の季節の移り変わりのことですが、人間にも「人生の時間」というものがあります。
・次の世代に自分の仕事を伝えていかないといけない
考えようによっては、悩む間が無いので、幸せなことなのです。でも、「人生の時間の使い方」という意味では、「アリとキリギリス」のどちらの役をしているのか。
忙しい毎日を過ごしていると
コンビニで、とりあえず好きなおにぎりを買ってみましょう。
コメの粒の感じや、表面の甘味などを感じてみましょう。そうしたら、舌先のほうの歯で少しずつ噛んでみましょう。
古い話をしてもつまらないので、手短に例として挙げますが、バブル崩壊して就職難のころが、私の学生時代です。
そうなりますと、「就職できなかったらどうしよう。どう思われるだろう」というような不安が強くなり、さらに不安が強くなると「こんなに不安な自分だったら、仕事はできないのではないか」とさらに不安になる…
こうしたことは、人間が生きている限り、どんな状況でも起こり得ます。
他方、理由もないのに長く続く苦しさは、「悩み」とは言わず「病気」であることがあります。
みなさんが、携帯電話を持ったのはいつのことでしょうか。
こうしたことに限らず、私たちは、仕事の上でも「待つ」ということが大変苦手になり、また「相手を待たせる」ということが「悪」であるかのような感じになっていることに気が付きます。
そのあとも、料理、絵画など、いろんなものに関心を示し、始めてはやめ、を繰り返して、結局学業にも集中できず、3年生で留年となっていました。見方を変えれば、「留年して様々なことに取り組んだ年」とも言えます。
目の前のやりたいことで、成果を出したいときには、少し先の本筋の目標について見据えることで、「時を待つ」ということができるようになってくるのかもしれません。