25年間の臨床経験からみえてくる、誰もが「最後に持っていけるもの」は何か、について考えておくと、すこし楽になる、ということについてお話しします。
私たちが、どこか旅行に行く場合、それぞれに重視するものがあると思います。
旅行先で体調不良にならないように「常備薬」を持っていくことを忘れないようにしたいひともいるでしょうし、コンタクトを使用している方なら、コンタクトケースとか、写真を撮りに出かけるのでしたら、カメラのレンズや予備のバッテリー。
最近だと、モバイル機器の充電器とかも持っていきたいところですよね。

これらは、私たちが、その行先で何を重視するか、どうなったら困るか、をそれぞれ想定しているからです。
目前の旅行くらいですとそうした準備もできますが、私たち全員が必ず迎えるであろう「死」ということを考えたときに、
「この世の中に何かを残す」
ことはあっても、
「何かを持っていく」
ことはできないことに気付くはずです。
つい先日のことですが、私の叔母にあたる「尼僧」が亡くなりました。
世の中では、著名な尼僧であった瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりましたが、そんなにすごい人ではなく、
むしろ、生前は、「財産」というものに大変執着を持っていた叔母でした。
ところが、おそらく自身でも予想していないほどの急逝となり
独身だったということもあって、家族もいない状況でした。
言うまでもなく、残ったのは「財産」だけですが、誰に残すでもなく、ただ土地や家や立派な庭が残ったところで、周りで喜ぶ人もいません。

人の生き方はそれぞれではあるのですが
私個人にとっては、とても反面教師という側面がつよく、
ただ、亡くなってしまってなお、私自身の中にこうした印象が残っていること自体が
なんとも悲しいことのように感じられましたし
個人的にも、亡くなった人をそのように思ってしまうことについて、なんだか申し訳なく、自分の至らなさも実感するところです。
みなさんが、何を残して、何を楽しんで、
結局は、最後は何も持っていけない、この人生という旅に、
どんなものを「持っていきたい」と願うか
もしかすると、今悩んでいることや、人と争っていることは、
最終的には、どうでもいいことなのかもしれませんよ。

























