
このところ、ゲリラ豪雨はもちろん、自然災害のニュースが絶えません。
堤防でも、斜面の施工でも、いろいろ工夫してやっているものですが、自然災害はかならず起こります。
つい昨日のことですが、朝は晴れていたのに、昼頃から急に冷たい風が吹き始め、気象アプリのアラートが次々なり始めました。
一時間に110mmの豪雨予想、雷、竜巻などの注意報が一気に出たようでした。
ちょうど、荷物を出しにでかけようかと思っていたところだったのですが、すでに遠くでゴロゴロと雷鳴が聞こえてきましたので、そのままとどまることに。
しばらくしてからの、豪雨と雷はなかなか強烈でした。
幸い災害などにはなりませんでしたが、あのままでかけていたら、出そうと思っていた荷物も濡れてしまっていたでしょう。

私たちが「頑張る」「一生懸命やる」ということを「学んだ場」というのは、多くは学校ではないでしょうか。
・みんなで一緒に〇〇する
・精一杯頑張る
・力いっぱい取り組む
・全力で走る
など、おおよそ、「加減」とか「待つ」ことなしに、突っ走ることが良い事のように取り組んできた経験が多い方もいるかもしれません。

中国の古典で「易教」というものがありますが、その中では、国を動かす「君子」となる人が、どのように身を処していくかが様々な角度から書かれています。
その中では
「自分が間違っていない状況であっても、周囲の環境が整っていなかったり、つまらない人たちがはびこっていたりする状況であれば、馬鹿なふりをして待て」
と書かれています。
「なんて馬鹿な人ばかりなんだろう」
と思っているとしたら、そこで本当の意味で賢くなることが必要です。
馬鹿な人たちと言うのは、「賢い人」を周りに見つけると、攻撃したり引きずりおろしたりするものだ、と易経には書かれています。
「馬鹿なふりをして、この時をやり過ごし、本当に自分が立つときには、賢人に引き上げてもらえるようにしておく」
その時点では、悔しい事ばかりのように見えますが、後にうまくいくには、力の入れる時を間違わないことも大切です。
嵐の中で出かけてはならないのです。





暑さが収まってくるところになると、なんだか気持ちも落ちてきたりしませんか。
さて、今お話ししているのは、1年間の季節の移り変わりのことですが、人間にも「人生の時間」というものがあります。
・次の世代に自分の仕事を伝えていかないといけない
考えようによっては、悩む間が無いので、幸せなことなのです。でも、「人生の時間の使い方」という意味では、「アリとキリギリス」のどちらの役をしているのか。
忙しい毎日を過ごしていると
コンビニで、とりあえず好きなおにぎりを買ってみましょう。
コメの粒の感じや、表面の甘味などを感じてみましょう。そうしたら、舌先のほうの歯で少しずつ噛んでみましょう。
古い話をしてもつまらないので、手短に例として挙げますが、バブル崩壊して就職難のころが、私の学生時代です。
そうなりますと、「就職できなかったらどうしよう。どう思われるだろう」というような不安が強くなり、さらに不安が強くなると「こんなに不安な自分だったら、仕事はできないのではないか」とさらに不安になる…
こうしたことは、人間が生きている限り、どんな状況でも起こり得ます。
他方、理由もないのに長く続く苦しさは、「悩み」とは言わず「病気」であることがあります。
みなさんが、携帯電話を持ったのはいつのことでしょうか。
こうしたことに限らず、私たちは、仕事の上でも「待つ」ということが大変苦手になり、また「相手を待たせる」ということが「悪」であるかのような感じになっていることに気が付きます。
そのあとも、料理、絵画など、いろんなものに関心を示し、始めてはやめ、を繰り返して、結局学業にも集中できず、3年生で留年となっていました。見方を変えれば、「留年して様々なことに取り組んだ年」とも言えます。
目の前のやりたいことで、成果を出したいときには、少し先の本筋の目標について見据えることで、「時を待つ」ということができるようになってくるのかもしれません。
例えば、「〇」という形を、10人の知らない人たちに同時に見せ、そこにあなたがいるとします。



もちろん、法律的に明らかにダメなことは、やっぱりやめたほうが良いと思いますが、「法律」とまではいわないけど「ちょっとそれはさぁ・・・」っていうことを、喜んでやってる人っているものですよね。
何故そうなるのか?




