窮屈なときに考えること

コロナの影響もあって、いろいろと窮屈な思いをしている方も多いかもしれません。

私個人は、ずいぶん田舎に住んでいますが、人口が少なければ少ないで、噂はすぐに広まり、「どこの家でコロナが出た」というくらいならまだしも「夜の店で酒を飲んで遊んで歩いているからこうなった」とか、あることないこと広がったりします。

これもまた窮屈なことですよね。

家の中に居るといると、今度は、家族同士でも細かいことが気になったりするかもしれません。

「洗面のあとに水場が拭かれていない」とか「ティッシュが空になっているのに箱をかえていない」とか、日常の生活の細かいところも、気になったりするかもしれません。

例えば、

「靴はちゃんとそろえて脱ぎなさいよ」と、子どもに対して思ったとき、あなたならどうやって子どもに伝えますか?

「玄関がぐちゃぐちゃだとみっともない」というのもあるかもしれません。

とりあえずこんな風に言ってみたらどうでしょう。

「自由になるためには、靴はそろえたほうがいいよ」どういう意味か、わかるでしょうか。

生活を整える、ということは、先ほどのように、面倒で窮屈なことも多いかもしれません。

けれども、例えば靴が揃えてあったら、出かけようと思ったときにすぐ靴を履いて出られます。

あっちこっちに家族の靴が散らばっていたら

「急いでいるのに!!」

とイライラするし、時間もかかるし、これは本当に不便、そして不自由です。

歯磨きをしっかりする習慣がついていたら、虫歯になって痛い思いをしたり、歯医者に行く時間や費用から自由になれます。

全部とは言いませんが、「面倒くさいこと」をやっておくと、その分、自由になれるのです。

また、面倒くさいことをいろいろやれる人は、「できる人」になり、信頼されます。

ポイントは、できていない人のことを指摘するのではなく、「自分は」面倒くさいことをシンプルにやることです。

そして、それが習慣になったら、今と違う世界になっているかもしれません。

 

「先生、生きている意味って何なんですか」

私たち一人一人は、なんのために生きているのでしょう

これは、実に難しい質問です。

学校の先生なんかに、中学生とか、高校生の子が聴くと「これからの人生でそれを見つけて下さい」なんていうことを言ったりします。

なんかちょっとずるいですね。そういう時は、「先生はなんで生きているんですか?」と聞くと、もしかすると、あまりはっきりした答えがないかもしれません。

また、もしかすると「先生が、自分のこととしていうなら・・・」と、ご自分の考えを言って下さるかもしれません。

私個人の「生きる目的」は何か、と聞かれたら、私はいつも答えを用意していて「人と出会うためでしょう」ということにしています。もちろん「今のところ」です。

なぜ、そう思うのか、というと、私個人は、そんなにたいした能力もなく、これと言って何かすごい功績を世の中に残してきたわけではありませんから、正直に申し上げて、「私は世の中役に立っている」ということを大きな声で言える自信はありません。

だったら、生きている意味はないかというとそういうわけでもないのではないかと思っています。皆さん一人一人もそうです。

なぜかというと、

例えば、世の中に、人が一人しかいなかったら、それがどんなに優れた人であったとしても、社会というものは作りません。一人では文化も文明も作れません。

人間は、もし一人であれば、その人がどんなにすごい人であっても、何もできないのです。

もし、私自身がなんていうことがない人であるとしても、私がそうであったように、他の「そこらへんの人」たちから影響を受け、他の普通の人たちに影響を与え、その人たちがちょっとすごい人たちと関わっていたり、すごい人たちに影響されて社会をつくったり、そういう「人と人のかかわり」によって、世の中が作られるのです。

ですから、私たち一人ひとりの生きる目的の多くは、人と関わることによって達成されると考えています。すごい人になろう、と思っていたら、それはまた別の目的があるかもしれません。

人と人とのかかわりは、良い思い出ばかりではなく、辛いものがあるでしょう。

でも、そのかかわりは、どこかに影響を及ぼしていますし、それが無かったら、今この社会とはなにか違うものになっていたかもしれません。

今の世の中が、良いとか悪いとかいうことはわかりません。

もし、悪いと思うなら、良くなるようにしていって、人と関わっていけば、そういう流れが作れるかもしれません。私たちは、良いときも、辛いときも、誰かに伝えることをしたときに、必ず誰かに影響を与えています。

 

まあ、多分、ですけど。

 

何人で生きているか

「あなたは何人で生きていますか」と聞かれたら、何と答えるでしょうか。

「質問自体の意味が分からない」と思うか「一人暮らしなんで一人です」と答えるか

「大勢の人にお世話になっているんで、たくさんの人と生きています」みたいなことをいうでしょうか。

どれが正解で、どれが間違いということではありません。ただ、このところ「自立」ということがとても両極端にとらえられている印象があります。

「子どもが独り立ちして家を出たんですよ」ということをお話しする方の「独り立ち」というのは「経済的な意味で仕事を始めた」ということでしょう。また、他方で

「あんたはもう大人だから、お父さんとお母さんは知りません」と突き放してしまう家庭も時々見られます。これもまた随分極端ですね。

心理学的に「自立」という言葉が定義されているわけではありませんが、心理学者で文化庁長官も務めた河合隼雄先生の言葉をご紹介すると

『自立ということは、依存を排除するということではなく、必要な依存を受け入れ、自分が依存していることを自覚し、感謝していることではないだろうか』と述べています。

なんだか、はたから見ていてべたべたしすぎの親子関係や、逆に自立させようと突き放しすぎの親子、いずれも「依存」か「孤立」かの両極になってしまうので辛くなるのかもしれません。

親子関係に限らず、私たちの人間関係というのは、お互いに必要な程度の依存が存在しています。依存という言葉がとっつきにくければ、信頼とか、あてにしている部分とか、そういうものかもしれません。

よく、小中学生の保護者の方とお話をしていて

「お子さんに、どんなふうになってほしいですか?」と聞くと、結構多くの保護者の方が

「一人でしっかり生きていけるように」

「人に迷惑をかけないでくれれば、どんなふうでもいいです」

みたいなことを言います。

けれども、本当であればそれは難しい、というか、本当に望ましいか微妙なところもあり

「人と一緒に生きていけるように」

「迷惑はかけるだろうけど、人と支えあって生きていってくれれば」

ということのほうが、より現実的なのではないかと思うことがあります。

「あなたは何人で生きていますか?」

負けない方法はあるか

物事の判断の仕方には、それぞれくせがあって、多くの人が良くやると思われるのは「損得」での判断でしょうか。

「こうやったら得だから。これだと損だから」

「これだと自分ばかりが大変だから」

といったように、目の前の物事を判断するかもしれません。

また、職場の中では、「業績」とか「成績」みたいなものが重視されている場合もあるかもしれません。

「〇〇の販売が一位だった」とか

「〇〇の満足度が高かった」など

いろんな尺度があるでしょう。

ほとんどの場合、私たちは「負けたくないなぁ」「どうやったらうまくいくかなあ」と考えています。仕事ですから、お金はもちろん、地位にも、社会的な意味でもそのほうが良いですものね。

同様に、無いほうが良いけれども負けたら一大事、ということの代表が「戦争」でしょう。実際の国と国が命を懸けて戦うような戦争は、無いほうが良いですが、私たちの生活の中での仕事、というのは、ある側面では「戦い」を含んでいるものかもしれません。戦争というのは、本当にシビアな損得で動いています。

これも、大昔から人々の悩みでしたので、優れた戦い方をして、できるだけ優位に立てるようにする方法はたくさん考えられてきました。そのために「兵法」というものがあり、どうやって敵と戦ったら勝てるのか、ということが研究されてきました。

例えば、織田信長が今川義元を倒した「桶狭間の戦い」などのように、大軍に小さな軍勢で立ち向かって勝利を収めるというのは、なんだかすっきりするものかと思います。これも、単に思い付き、とか、特攻、ではなく「兵法」に基づいていると考えられます。

どの「兵法」にも共通して書いている、もっとも重要なことがあります。

それは

「負けるとわかっている争いはするな」

ということです。なんとも弱い言葉に聞こえますが、続きがあります。

「もし、負けずに生き残ることができているとしたら、いつか必ず勝てるチャンスがある。負けて命を落としてしまえば、それまでである」

私たちの最も「得」となっているものは「生きていること」です。

もし、現代の社会で「死ぬほどつらい」戦場にいるとしたら、生き残ることを選択して、誰かに助けを求めてみてください。そうしたら、いつか勝ち残れます。

出来事に良し悪しはない

人間の持っている心というのは、「ヒト」というものが発生したあたりから、それほど大きくは変化していないのかもしれません。

少なくとも、数千年も前の文明の墓のあとから、お花を供えた形跡が見つかったりするのを見ると、お花をきれいだと感じたり、それを死者に備えようとする気持ちなどは、今とそれほど変わらないことがわかります。

同様に、私たちの悩みというものも、昔から大きく変化はしていません。もちろん、現代ならではの「テクノストレス」的なものとかは別かもしれませんが、それだって元をただせば人間関係や仕事のことということができるかもしれません。

細かく見れば、悩みというものは千差万別、人それぞれですが、「〇〇の悩み」という少し大きな問題としてとらえれば、誰一人として経験したことのない悩み、というものは、おそらくないでしょう。

中国の古い書物で「易経」というものがあります。これは、現代でも「占い」などに使われていることがありますが、大昔の意味で言うとこれは「占い」ではありませんでした。「こういうことが起こる」ということは「こういうことにつながっている」という物事の筋道や法則を事細かに描いてあるのが易経です。

普通、おみくじなどでは大吉であれば、これからいいことが起こりそう、凶であれば、よくないことがありそう、と考えがちです。けれども、どうやらそう捉えるのではなく、『今、自分が行っていることは、世界に対してどのようなことであるのか』ということらしいです。

ちょっと難しいですね。「今のままの行動で、次に起こることはこれ」といった感じでしょうか。「待ち人 来るが遅し」とか書いてあると、「良くないこと」ととらえがちですが、おみくじには、良いとか悪いとかは一切書いておらず、「勉学に励みなさい」とか「目上の人を大切にしなさい」とか、そういうことが書いています。

冒頭で書いたように、「昔から人の悩みはけっこう共通です」。ということは、「悩みとなる状態」が発生する状況も、そんなに変わらないのです。

『こうしたら』→『こうなる』という流れがありますから、「食べて運動しない」→「健康に良くない」。『適度な運動をしてストレスをためない』→『健康的』くらいのシンプルなことは、昔からわかっていることなのです。

ですから、私たちは、目の前で起こっている出来事について、感情で反応しがちですが、ある程度感情で体験して、味わったら、「さて、これはどんな意味があるんだろうか」とちょっと視点を変えてみることも有効な手段です。

先日、私の職場近くで雷が発生し、職場内の火災報知器が通電して壊れるという出来事がありました。それ自体は「困ったこと」として受け取れますが、「これはどうもおかしい。何か他にもきっと変わったことが有りうる」と思い、職員に警戒を呼びかけました。

その数日後、近隣地域でコロナウイルスの感染が複数確認されたのですが、事前に引き締めをかけていたため、事前にみんな備えていたので難を逃れたということが有りました。

「これは、何を意味しているんだろう」と、ちょっと離れてみると、問題に埋もれずに済むことが有るかもしれません。

逃げるときは振り返らない

仕事は実際の「戦い」ではないのですが、勝負だったり駆け引きだったりすることが少なくないようです。例えば、自分の会社 対 他の会社の場合は、自分の周りにはたくさんの仲間がいて、上司もいますから、すべてが自分自身の責任ということは、ほとんどないでしょう。また、重要な判断については、むしろ自分自身とは違うところで決められていることもあるかもしれません。

他方、自分自身が孤軍奮闘しなければならないような状況というのも、人によっては経験します。

会社の人たちとどうもうまくいかない

家族との関係がなんだかぎくしゃくしてしまっている

自分の失敗は自分の責任であることを認めても、なかなか状況が好転しない

…など、自分自身で効果的な対処が見いだせないまま、ずるずると時間だけが経過していくような場合です。

こうした際は、まずは誰かに相談する、ということが一番なのですが、身近な人が理解を示してくれそうにない場合などは、そうした状況が「悩み」「ストレス」になっていってしまいます。

気を付けなければならないのは「必ずしも自分が悪いのではないけれども、だからと言ってすべて相手が悪いというわけでもない」ことです。『いろんなことが悪化してしまっている状況』では、「悪者探し」をしてしまうことが多いものです。

「この件については〇〇が悪い」となると、結論がわかったような気がして、周囲がそうした結論に同調することがあります。このことを社会心理学では『スケープゴート(いけにえの羊)』と言います。

学校でなかなかなくなることがない「いじめ」の問題も、そもそもの人間集団の機能が働いていることも言われていて、結果として、いじめたほうも、いじめられたほうも傷つくということがよく言われます。

そんな状況を感じて、しかも、自分の体や心に影響が出てしまうようなときはどうしたらよいか。

いちもくさんに逃げましょう。

「逃げるのは良くないことだ」

「逃げないで向き合わないと」

と思ってしまうのも理解できます。

もちろんそういうこともあるのですが、体や心が持たないような場合は話が別です。

「振り返るな 振り返るな。振り返ってもそこには夢がない」と寺山修司は言いましたが、逃げると決めたときは一目散に逃げましょう。

でも

やっぱり、急に家からいなくなったり、会社を無断欠勤したりするのは気が引けるはずです。当社の相談サービスは、「逃げたいけど・・・逃げられない」という方の相談に応じています。

ちょっとの前に、「逃げるは恥だが役に立つ」なんていうタイトルのドラマが流行りました。カウンセリングを利用するくらいのことは、とても役に立つです。

選択を変えたら、世界が変わる

日本は『少子高齢化社会』と『人口減少』の社会に突入しています。

これはどういうことかというと…

今までのように、経済発展が続いて、国の税収がどんどん増えて、公共サービスとしていろんなことを支援してもらえたり、道路を作ってくれたり、行政がきめ細やかなサービスや施設整備をしてくれる、という時代が終わりに近づいているということです。

わたしたちは、日常、『仕事』をしています。それはやりがいなどももちろんあると思いますが、「生活のために必要である」と感じている方が多いのではないかと思います。もしかすると、中には、生活には困っていないけれども、生活のハリのために働いているという人もいるのかもしれません。

わたしたちは、働いている間は「地域」や「家庭」にいませんから、当然その間は職場の人、仕事関係の人としかかかわりません。そうしますと、夕方以降に家に帰った時には、あえて隣近所とお付き合いはしなくてもいいように、自分のことは自分で処理して、あまり地域のことにはかかわらない、ということになっていきます。

子育てや介護なども、仕事がありますから、保育所やデイサービス、施設にお願いします。難しい洗濯はクリーニングに出しますし、帰宅が遅くなればデリバリーを頼みます。買い物はパソコン画面で、通販で済みます。

「これいいな」

と思って買った家電は、一年もたつと新しいものがどんどん出ていて、今のモノに満足できなくなり、次々便利なものを買いたいと思います。そうすると、またお金を稼いで買わないといけません。

これでは、私たちはいつまでたってもお金を稼ぎ続けないと幸せになれないのです。そして「あー、疲れたなあ」「あれいいなあ。高いなあ」と言いつづけます。

これは、気づくと人生が変わりますが…

私たちの人間という生き物の楽しみはどこにあるか、というと、私たちが仕事のためにほかの人に頼んでいるところにあります。

料理、子育て、買い物、作物を作ること、魚を釣ること、縫い物、製作など

「時間がない。面倒くさい」

と思っているものの中に、本来の人間の楽しみが含まれているのです。

それらをすべて「賃金」に変えて、人に頼んでしまう場合…頼まれた人も仕事、頼んだ人も仕事、というように、すべての楽しみは「お金を稼ぐため」に置き換わってしまいます。今、人に頼んでいること、ちょっと面倒くさいから簡単に済ませよう、と思っていることをあえてやってみませんか。

もしやってみようと決めたら、余計なことを考えず、集中してやってみましょう。きっと、世の中の見え方が変わる体験になります。

私たちの人生は、本当は楽しいのです。なにか、選択を変えてみたら世界も変わります。

『仕事に集中する』ためのいくつかの方法

仕事に対して「やりがい」を感じていたり、得ている報酬に満足していたりする方は、毎日仕事に行くのが楽しみなはずです。

家庭での家族関係が問題なく、コミュニケーションが円滑な方は、仕事が終わって家庭に帰るのが待ち遠しいでしょう。

ただ、残念なことに、生活をしているとそんなことばかりではありません。人間がやることには、失敗やすれ違いは日常茶飯事です。むしろ、

「なんでこの人はわかってくれないのだろう」といういら立ちは、もともと期待しすぎで、「えー、わかってくれたの??すごい」というくらいのことなのかもしれません。

「理解は偶然、誤解は当然」ということです。

また、仕事について、何を期待しているかによっても、仕事に対する自分の構えが変わります。

「お金を稼ごう」とするとしましょう。

もともとの給与の額の表があるはずです。その表を見たときに、自分の期待する金額は、現在の位置とどのくらいの差がありますか?表そのものに、すごい大きな差があったら、どんなに頑張っても、すぐにその目標にたどり着くことは難しいでしょう。

言い換えれば、『息の長い仕事』が必要です。

ですから、よほど成果主義が定着としている仕事や、もともとの基本給が高額な会社に入っていないかぎりは、私たちの身体や心の健康を害するほどの一時的な頑張り、がむしゃらな努力は、それほど急激な賃金の上昇にはつながりにくいのが本当のところです。

そう言われると、やる気をなくしてしまいますか?大切なのは、ここからです。

もし「お金」だけを目標にしてしまった場合、私たちの一日の時間の半分近くを通勤や仕事で費やすのだとしたら、つまらなくなることがあるかもしれません。けれども、自分の取り組み方によって、人を幸せにできる、と考えてみたらどうでしょう。

同僚においしいお茶やコーヒーを入れてみること。営業先の受付の人の愚痴を聞いてみること。自分がまかされた仕事を期待値以上でこなし、上司の出世を手助けしてみること。自分が世の中に出した商品が人に喜ばれること。これらは、遅かれ早かれ、人から感謝されます。

「おれがやったんだぞ!!」と言わなくても、周りの人はみんな分かっています。

それは、思いもよらない形で、「あの時はありがとうございました」と人から帰ってきます。そんなことがあったら、すごくうれしく、やりがいがありますね。

あれ、これは仕事のお金の問題だったでしょうか。

『複数のこと』に疲れてしまった時、どうしたらいいのでしょう

前回のお話で、「ストレス」は必ずしも悪いものではないけれど、その大きさや、継続時間や、数が多すぎたりすると「疲れ」につながる、というお話をしました。

なるほど、と思えた方もいたかもしれませんが・・・

「そんなことを言ったって、家庭もあるし、仕事もあるし、職場の人間関係も、ご近所づきあいも、子どもの学校も、どれも避けられないじゃないか」

「仕事だって、こっちの取引先もあるし、新しい企画を考えなきゃいけないし、後輩の指導もしないといけないし、新しい業務ソフトも覚えなきゃならない」

その通りです。

かつての社会と、現代社会の大きな違いは、性別や年齢にかかわらず、様々な役割、仕事を複数にわたって同時進行しないといけない、いわゆる『マルチタスク』が求められる社会です。パソコンひとつ見てみても、今までのようにワープロソフトが一つだけ動いていればよいのではなく、オンラインの会議をしながら、プレゼンソフトを動かし、それをワープロソフトで記録したりと、同時進行していますね。

だから、疲れるのは当たり前の社会ですし、そういう仕事に就いている方のなかには「田舎暮らし」なんていうことを選択する方もいます。「田舎暮らし」というと、かなり大きな決断になりますが、その大切なポイントはとてもシンプルです。

「時間に追われない自分を持つこと」

「ひとつのことにじっくり集中して、味わえること」

です。実は

これは、著名なビジネスパーソンのほとんどがやっていることです。

驚くほど切り替えが上手で、仕事をしていると思ったら、町に遊びに繰り出していたり、いつの間にか海で遊んでいたり、たくさんの本を読んでいたりしますよね。

これは、マルチタスクをこなしているのではなく、その都度、一つのことに「集中している」のです。ですから、たくさんのことをやっていても「疲れる」ことなく、パワフルに見えるわけですね。

『マインドフルネス』という方法では、そうした心の機能に注目して「意識して一つのことに集中してみること」「複数のことから心を開放してみること」

そうすることが、リラックスにつながり、能力の維持向上に役立つと考えます。それが、グーグルなどの大きな企業でも取り組みが進められている理由です。

『疲れ』はどこからくるのか

私たちは、「あ~疲れたな」という時には、おおよそ「体」のことを言っていると思うはずです。けれども、実際には「身体的な疲れ」と「心理的な疲れ」の二つがあります。

また、スポーツ選手の研究などから、私たちの「限界」というものは、身体的な体力の限界よりも、精神的な限界が先に来ることによって生じることがわかっています。

「心」の方が「疲れ」を感じやすい、ということができるのかもしれません。私たちが「心の疲れ」を考える時に切り離せないのが「ストレス」ですが、この「ストレス」という言葉も、身体的なものも、心理的なものも含んでいます。

例えば、「痛み」「嫌な臭い」「嫌な味覚」「暑すぎる(寒すぎる)環境」「騒音」などもストレスと言われますし、「身近な人との別れ」「引っ越し」「結婚」でさえも「ストレス」と言われています。

このように、私たちの生活はある意味「ストレスだらけ」なのですが、全てが悪いわけではありません。適度なストレスは私たちの生活の「ハリ」にもなっていて、集中力などにもつながります。

では、どんな場合に「疲れ」を感じるほどのストレスになるか。これには、大きく2つあります。

ひとつは、受けているストレスがあまりに大きく継続したりする場合です。例えば、アパートの隣の住人が、24時間、毎日、大音量で音楽を流し続けていたりする場合、これは大きなストレスです。

もう一つは、複数のストレスが一気に押し寄せている場合です。

例えば、こんな一日です。

満員電車で降りられず駅を通過し、出社したらクレームの電話が立て続けに入り、決済に上げた書類はミスだらけで差し戻され、あわただしくて昼食はとれず、缶コーヒーを買えばこぼして服が汚れ、デスクに戻ればパソコンが不調で、ようやく仕事が終わって家に着いたらドアの鍵が見つからず・・・

「なんて一日だ!!」と怒る気力もないはずです。

心が疲れているなと思った場合、なにか「大きい事」「続くこと」「重なること」がありませんか。もしコントロールできるものがあれば、ちょっとだけ調整することで、心の疲れを大きくしないことも可能です。